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背景
FRP(Fiber Reinforced Plastics : 繊維強化プラスチック)は優れた耐薬品性と形状追従性を有することから、酸性や塩基性の水溶液を貯蔵するタンク、槽、配管等の補修材として適用が進んでいる。このような薬液に接触する状況でのFRP補修においては、経験則的に硬化不良が発生することがわかっている。当該硬化不良原因の一つとして酸性、塩基性の指標となるpHが考えられるが評価したことが無い。
目的
塩酸水溶液(酸性水溶液、pH:-0.98)、水酸化ナトリウム水溶液(塩基性水溶液、pH:13.87)という2種の水溶液存在状態、並びにこれらの溶液が混在しない状態でガラス繊維/ビニルエステル構成のFRPを硬化させ、硬化挙動に対するpHの影響を評価する。
結論
酸性水溶液存在下では明らかな硬化不良が認められた。また、塩基性水溶液存在下では、表層は硬化したものの、内部に未硬化樹脂が残存している状態であった。このことから、pHはビニルエステルの硬化挙動に影響を与えていることが明らかとなった。
概要
酸性水溶液、並びに塩基性水溶液を予めポリエステル製の不織布に含浸させたうえで、約100mm角に裁断したガラス繊維を1 Ply積層し、そこにマトリックス樹脂であるビニルエステルを含浸させることでFRPを硬化させた。比較のためにこれらの水溶液を含浸させずに、同様の手法でFRPの硬化を行った。その結果、酸性と塩基性、どちらかの水溶液に接触した状態のFRPのみ、硬化不良を起こすことが明らかとなった。正常に硬化したFRPは剛性を有する平板となった一方、硬化不良を起こしたFRPはタック性を有する柔軟なシート状態となった(下図参照)。この原因として、酸性、塩基性の指標となるpHの違いが、硬化現象であるラジカル反応における開始剤の分解反応を抑制した可能性がある。
図 正常に硬化したFRP(左)と硬化中の酸性水溶液との接触で硬化不良を起こしたFRP(右)
評価準備と評価方法
評価に用いる水溶液の準備
塩酸は濃度35%の水溶液(三和合名会社)をそのまま用い、水酸化ナトリウムは苛性ソーダ99%(三和合名会社)を3wt%に希釈した水溶液を用いた。各溶液の濃度(mol/L)とpHの計算値を下表に示す。溶液のpHは試験紙ロールタイプ(モノタロウ)にて確認した。
表 評価に用いた溶液濃度
水溶液に接触させた状態でのFRP積層
調液した溶液は土台である木材の上に設置された100mm角のポリエステル不織布に、それぞれスポイトで含浸させた。含浸させている様子を下図に示す。
図 ポリエステル不織布にスポイトで水溶液を含浸させている様子
FRPに用いるマトリックス樹脂は、ビニルエステルを主成分とする主剤と過酸化物であるメチルエチルケトンパーオキサイドを含む硬化剤を重量比で100:1となるよう混合して得た。上記で得られた酸性、並びに塩基性水溶液含侵済みのポリエステル不織布に、刷毛と脱泡ローラを用いて硬化剤混合済みのビニルエステルを含浸させた。脱泡ローラで含浸している様子を右図に示す。
図 脱泡ローラを用いてビニルエステルを含浸する様子
100mm角に裁断したガラス繊維(チョップドストランドマット)を、水溶液を含浸させたポリエステル不織布の上に1 Ply置き、刷毛で硬化剤添加済みのビニルエステル樹脂を予備含浸させた後、脱泡ローラで本含浸させることでFRPの積層を行った。刷毛による予備含浸と、脱泡ローラによる本含浸の様子を下図に示す。
図 FRP積層工程の様子
(左:ガラス繊維を不織布の上に置く 中央:ビニルエステル予備含浸 右:本含浸)
FRP積層構成を模式的に示すと下図のようになる。本積層構成によって、FRPの硬化が酸性、または塩基性の水溶液に接触した状態で行えることがわかる。
図 評価に用いたFRP積層構成の模式図
酸性/塩基性水溶液接触下で硬化したFRP硬化状態の確認
積層から24時間経過後、目視、並びに簡易的な触診により硬化状況を確認した。
酸性/塩基性水溶液接触下で硬化したFRPの基本特性確認
硬化開始から6日間(約144時間)経過後、FRPの表層のタック性と曲げ変形抗力、並びにバーコル硬度を確認した。それぞれの工程概要を述べる。
タック性の確認
(1) ゴム手袋などの保護具をつけた。
(2) 人差し指で、試験片中央付近を押して離す、を複数回繰り返し、タック性(べたつき)の有無を記録した。
図 タック性確認のようす
曲げ抗力の確認
(1) ゴム手袋などの保護具をつけた。
(2) シートの両端をもって、ゆっくりと曲げた。
(3) 力を除荷後、元に戻るかを確認した。
図 曲げ抗力確認のようす
硬度の確認
(1) FRP表層にバーコル硬度計(GYZJ 934-1型(Eurotherm))を押し当てた。
(2) 硬度が計測できるかを確認した。
図 バーコル硬度確認のようす
結果
評価に用いる水溶液の準備
準備した水溶液は、異物や変色等の異常がないことを確認してから使用した。pH試験紙によるpH確認結果を下図に示す。塩酸水溶液が酸性、水酸化ナトリウム水溶液が塩基性であり、そのpHが確認可能な数値範囲において、概ね計算値と同等であることを確認した。
図 pH試験紙の色変化の様子(左:酸性水溶液 右:塩基性水溶液)
水溶液に接触させた状態でのFRP積層
酸性、塩基性水溶液の存在によるFRP積層工程への影響は特になかった。
酸性/塩基性水溶液接触下で硬化したFRP硬化状態の確認
積層から24時間経過後のFRP外観写真を下図に示す。酸性、塩基性水溶液との接触の無かったFRPは、FRP平板形状を維持できるまで硬化が進行していた。塩基性水溶液に接触した状態で硬化させたFRPは、表層は硬化していたものの、内部は未硬化の状態であることを確認した。酸性水溶液を接触させた場合のFRPも硬化しておらず、濡れた紙のようにスクレイパーで簡単に変形する状態だった(下図参照)。
図 24時間経過後のFRPの外観写真
(左:酸性水溶液接触 中央:塩基性水溶液接触 右:酸性/塩基性溶液接触無し)
図 酸水溶液接触で硬化していなかったFRP
酸性/塩基性水溶液接触下で硬化したFRPの基本特性確認
積層6日後のFRPについて、表層のタック性、曲げ変形抗力、並びにバーコル硬度を確認した。結果の概要を下表に示す。酸性水溶液に接触した場合は硬化が進行したもののゲル状態であった。塩基性水溶液でもFRP内部において硬化不良が確認され、表層にタック性は無かったものの、内部に未硬化領域が残存していたため、曲げ荷重をかけると塑性変形を起こした。酸性、または塩基性水溶液に接触していないFRPにタック性は認められず、曲げの力に対して弾性変形する等、問題なく硬化したことを確認した。
表 FRP硬化6日後の基本特性確認結果概要
考察
ビニルエステルの重合反応に対するpHの影響について
本評価においてFRPの硬化反応はpHの影響を受けることが明らかとなった。評価に用いたFRPのマトリックス樹脂は炭素原子間に二重結合を有するビニルエステルを、ラジカルによって連続的に分子間の結合を生成するラジカル反応(ラジカル重合反応)によって硬化する。この反応は、反応開始剤のラジカル発生から開始する。FRPのマトリックス樹脂の反応開始剤に用いたのは、酸素原子同士が結合した化学構造を有する過酸化物の一種、メチルエチルケトンパーオキサイド(Methyl Ethyl Ketone Peroxide)を、不活溶媒であるフタル酸ジメチルによって希釈したもので、これが硬化剤である。メチルエチルケトンパーオキサイドの化学構造式を下図に示す。化学構造式の真ん中付近にある二つの酸素原子が結合した箇所が切れて、ラジカルを発生する。
図 メチルエチルケトンパーオキサイドの構造式
この反応系中で反応開始剤から発生したラジカルが、拡散と再結合を繰り返す。そのラジカルの中の一部が、反応系に関与して重合反応が開始される事が知られており、これは“かご効果”と呼ばれる。よってFRPの硬化が進行しなかったのは、ラジカルの失活やラジカル発生量が減少する等、かご効果によるラジカルの重合系への関与が制限されたことが一因と考えられる。
この原因として考えられるのは、ラジカルを発生させる開始剤の分解反応速度の低下である。ラジカル反応は開始剤、すなわち今回の反応系だと過酸化物であるメチルエチルケトンパーオキサイドに該当するものをIとすると、下図のように示される。分解反応が抑制されることは、反応速度定数kdが低下することと同等と考えて問題ない。
図 開始剤分解によるラジカル発生の反応
今回評価した反応系である、ビニルエステルと過酸化物という組み合わせのラジカル反応について、pHの影響を評価した文献を見つけられていない。類似の研究である、アクリルアミドのアニオン重合に対するpHの影響を調査した報告例1) によると、開始剤であるNaIO4の分解速度は時間に対して一定である一方、分解に関する反応速度定数がpHによって強い影響を受けることを明らかにしている。より具体的には、評価範囲であるpH 1から12程度の範囲で、中性付近であるpH 7程度で開始剤の分解反応に関する反応速度が最大化する結果が示されている。そしてこの反応速度が、硬化の度合いである重合度とも強い相関が認められたことから、硬化進行と開始剤の分解速度には正の相関があるという理解で問題ないと考える。よって、今回の評価系においては、酸性環境、または塩基性環境で生じるプロトン(H+ )や水酸化イオン(OH– )の存在が、メチルエチルケトンパーオキサイドの分解反応速度低下に寄与している可能性がある。本考察の妥当性を検証するには、例えば迅速混合法による電子スピン共鳴法(Electron Spin Resonance/ESR)を用いた直接法、または同分析機器を用いた補足法によるラジカル計測が一案である。溶液のpHが異なる反応系において、ラジカル発生量がどう変化するのかを評価し、当該発生量に対するpHの影響を考察できる可能性がある。その一方で、開始剤が同じであっても重合する原材料側であるモノマーの側鎖構造によってはpHの影響が無くなる報告2)もある等、一概にpHが重合に影響を与えるとは断言できないことは加筆しておく。
また、今回の評価において酸性水溶液と塩基性水溶液に接触させてFRP硬化をさせた場合、前者は硬化進行が抑制された一方、後者は部分的に硬化が進行したことが認められた。この結果だけを見ると、酸性水溶液の方が、硬化阻害要因として強く機能した可能性も考えられるが、本点は純粋に濃度の違いによるものと推測される。今回評価した塩基性水溶液のpHは14近い値となっているが、モル濃度で見ると酸性水溶液として評価した塩酸水溶液の10分の1程度である。従って、今後塩基性水溶液についてモル濃度を合わせて評価することで、塩基性水溶液も酸性のそれと同様のFRP硬化抑制効果を発現するかを確認予定である。
まとめ
今回の評価によって、経験的に理解していた酸性、または塩基性水溶液存在下において、ビニルエステルをマトリックス樹脂とするFRPで硬化不良が発生することを実験的に実証することができた。酸性、または塩基性水溶液を保管するタンクや、これらの液体が通過する配管等に対してFRPで補修を行うにあたり、pHを指標とした作業環境管理が不可欠であることを理解できたことは、当社にとって大きな前進であると考える。
参照文献
1) 周 廣福、アクリルアミドの重合速度と重合度に及ぼすpHの影響、1972年、高分子化學、29 巻、324 号、p.229
1) 香西 保明、池田 能幸、藤井 茂、過硫酸アンモニウムを開始剤とするメタクリロイルグリシンの水溶液中での重合、1973年、高分子化學、30 巻、334 号、p.99